物思いにふける@HatenaBlog

音楽など自分のやりたいことの棚卸し。物思いにふけって時間を有意義に過ごそう

手段を目的とする日本的な文化?

いつだったかふと見かけた記事で、「日本人は手段を目的としてしまう傾向がある」「その傾向は、古くからの茶道などの日本文化に見られる」というくだりを見かけました。その記事の言いたい事が何だったのか思い出せないのですが、手段を目的としてしまう傾向が古くからの日本文化に見て取れる、と「良くない事」というニュアンスで言われていた点に、ちょっと思う事が。


自分はもうかれこれ10年ちょっと茶道を嗜んでいます。風炉や水差を置く場所、炭手前をする時の炭の組み方や炭の置き方も細かく決まっていたり、お茶を点てるためのお点前、とかく手続きに重点が置かれる事が多いです。ただ、それぞれの手続きにはきちんと意味があり、例えば夏場はお客様に不快(暑い)思いをさせないように炉を風炉にして炭も少なくするし、その風炉を置く場所も、月ごとによって亭主の正面に置くか、ちょっと左のお客様からみて離れた位置に置く(お客様が暑くならないよう、遠ざける)か、微妙に異なります。一見なんの意味もなさそうな手続きにも、きちんと「お客様をおもてなしする」という意味があるのです。

自分は茶道を習い、かつそれぞれの手続きの意味を教えてくれる先生に出会えたのでこういう理解を持っているのですが、外から見ると「複雑な手続きがあって大変そう」というイメージが先行し、そういった手続きを踏む事が目的となっていしまっている、という見えてしまうのでしょう。手段の目的を理解しながらお稽古をする人、目的を理解せず、ただただ膨大な手続きを覚えるぞ!と思いながらお稽古をする人、様々です。


茶道の世界で言えば、どんな手続き(手段)でも最終的には「お客様をおもてなしする」という目的につながっている(と自分は理解している)のですが、その目的からは外れたとしても、「日常とは別の世界にどっぷり浸かり、無心に手段に没頭してストレス解消する」「おいしいお茶飲みたい、お菓子食べたい」などなど、きっとその人なりに目的を持っているはず。一つの物事、行為でも、色々な側面があって、色々な目的を持っている人がいると思うのです。7つの習慣の第一章だったかにも書いてありましたが、多様性を理解し、主体的に物事に取り組んでいく事。それを見失ってはいけない。


手段が目的になってしまっている。これは良くない意味で使われる事がありますが、きっと、裏には別の目的があります。それを理解できるようになりたいものです。


集団を1つの目的に向けて進めていく必要がある場合は、ここで止まってしまってはいけないですね。特に仕事。ただしこういう場合でも、なぜ目的がブレてしまうのか、その人はどのような「異なる」目的を持っているのか、なぜ逸れていってしまったのかをまず理解をした上で是正していく、と心がけたいものです。